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第9章 交錯するもの ①将来の夢

last update publish date: 2026-03-16 09:00:45

 放課後の職員室は、どこか静けさが沁み込んでいた。

 いつもの喧騒も、先生たちのバタバタした気配もない。

 その中でひときわ目立つ、猫背気味の背中が目に付いた。大澤先生だ。

 俺はその背中に向かって歩き、すこし躊躇してから声をかける。

「……大澤先生」

 小さく肩が動いて、先生はくるりと顔だけ振り返る。

 まるで待ってましたと言わんばかりの、にやけた顔をしていた。

「わぁ、〝南条依存症〟の白浜だ。放課後にここ来るの、めっちゃ久しぶりじゃん?」

 何そのわざとらしい口調。

 しかも開口一番、それかよ。

「それマジでやめろって」

 思わず言葉が強くなる。

 でも先生はお構いなしに笑った。そしてくいっと椅子を回して、身体ごとこっちを向いた。

「だって、最近のお前さ。放課後になると毎回、南条のとこに飛んでくでしょ? 校舎裏でイチャイチャしやがって。職員室から全部見えてるんだからなぁ~」

「……は? え、はぁ!? み、見えてる!? 見てた!?」

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  • 放課後の君は、まだ遠い。   最終章 光と空の先 ⑥未来への一歩

     式が終わったあとの体育館は、嘘みたいに静かだった。  拍手の音も、校長の声も、涙交じりの別れの言葉ももう聞こえない。ただ、壇上の花が風に揺れるのが見える。  あれだけ人で溢れていた空間が、今は夢のあとみたいだった。  大澤先生は大号泣していた。  そんな様子を見て、また生徒たちも泣き、最後のホームルームは泣き声でいっぱいだった。  もうすこし大澤先生と話していたかった。  それでも俺は、ぼんやりしてる暇なんかなくて。  胸の奥がざわざわしていて。  ここでしかできないこと。それを確実に済ませておきたかった。「……白浜くん」  名前を呼ばれて振り返ると、南条が光の中を歩いてくるのが見えた。  えんじ色のネクタイ。俺が結んだそれがすこし曲がってて、思わずふっと笑ってしまった。 「ネクタイ、斜めになってるよ」 「え……あ、ほんとうだ」  すこしだけ困ったように笑いながら、南条は俺の方に歩み寄ってきた。そして、逆に俺のネクタイを見て、小さく首を傾げる。 「白浜くんのは、緩んでる」 「え、マジ?」 「……ちょっと待って。結び直すから」  指先が喉元に触れる。  その瞬間ふわっと香ったのは、南条の匂いだった。制服の襟に残る柑橘っぽい匂いと、いつもの静かな匂い。それだけで胸がきゅっと締めつけられる。  手際よく締め直されたネクタイは、いつもよりすこしきつめだった。でも、何よりも綺麗なように思える。 「……く、くるしいって!」 「このくらいの方が、かっこいいよ」 「また言った、ずるっ!」  思わず笑うと、南条もすこしだけ目を伏せて笑った。  こんな何気ないやり取りすら、今日で最後——そう頭で理解した瞬間、俺は身体が勝手に動いていた。 「……ねぇ、行こうか。あっち」  南条が頷く。  向かうのは、あの場所。  ふたりで何度も向かった、校舎裏だ。◇ ふたりで手を繋いだまま、すこしだけ肩を寄せ合って立っていた。  この場所に、何度も来た。

  • 放課後の君は、まだ遠い。   最終章 光と空の先 ⑤特別な交換

     春の朝の空気は、ほんのすこしだけぬるくて、でもまだ肌寒い。  白く光る校舎の前で、制服の第1ボタンに手をかけたとき、ふわりと柔らかい風が通り過ぎた。  校庭には、まだ蕾のままの桜。  でもその気配はもう、確かに春だった。「……白浜くん」  名前を呼ばれて顔を上げると、そこに南条がいた。  朝の陽射しの中で、えんじ色のネクタイが風に揺れている。  その姿に、一瞬だけ見惚れた。 「おはよう」 「……おはよう」  照れくさそうに笑い合って、すぐ隣に並ぶ。  俺はちょっと緊張してたけど、どうしても今日、やりたいことがあった。 「なぁ、南条……」 「うん?」 「ネクタイ、交換しない?」  言いながら、自分でもすこし照れたけど。  でも、卒業式だからこそ、やりたいって思ったんだ。なんか……俺たちらしいことを。 「ネクタイ?」  南条は目を見開いて、それからふっと表情をやわらげた。 「いいよ……交換しよ」  交換する意図は聞かれなかった。  互いに自身のネクタイに指をかけ、慣れた手付きで外していく。  手元に集中しながらも、南条の様子が気になって仕方がない。  結び目の上で、動く長い指。  ほどかれたネクタイが、肩を撫でて落ちていく様子。  それらすべてがなんだか特別なように思えた。 「じゃあ……白浜くん、こっち向いて。僕が結ぶ」 「う、うん……」  すこし近づいてくる。  そして南条がほどいたばかりのネクタイを、俺の首元に掛けた。  俺の胸元、ネクタイの位置に手をやり、こちらもまた慣れた手つきで結び始める。  その指先が俺の身体に触れた瞬間——すこしだけひやっとして、それからじんわり温かかくなった。 「……白浜くん、自分が提案したのに。ちょっと緊張してる?」 「ば、ばれてる……?」 「顔、赤い」  南条の一言に、耳まで赤くなっていくのがわかる。  なんだか無性に恥ずかしくて、目を逸らしながらこっそりと南条の名を

  • 放課後の君は、まだ遠い。   最終章 光と空の先 ④居眠りの正否

     西の空が茜色に染まりはじめていた。  夕焼けが街を包んで、ビルの隙間に長い影が落ちている。  俺たちは並んで歩いていた。なんでもない帰り道。だけど今日は、それがすこしだけ特別に思えた。  手の中には、南条のぬくもりがある。  ぎゅっと握ってるわけじゃない。けど、決して離れようとはしない、そんな優しい力で、俺たちの手は繋がれていた。  制服の袖が時々重なるたびに、心臓がちょっとだけ騒がしくなる。 「……なぁ、南条」  俺はふと、笑いながら口を開いた。 「俺、美術の授業で寝ててよかった。あの時に起きてたら……掃除もしてなかったわけだし。今こうして一緒に帰ってない気がする」  俺の一言に南条はくすっと笑った。 「それ、まったく自慢にならないよ?」 「いやいや、めっちゃ自慢だって。人生変わったんだから」  本気でそう思っていた。  南条と出会って、惹かれて、俺は変わった。未来まで、変わった。  これは自慢でしかないでしょ。 「……じゃあさ」  横で、ちょっといたずらっぽい声がする。 「……美術の問題、出す。正解できたら、寝てよかったって認めてあげる」 「問題……ちょっ、マジで!?」  思わず声が裏返る。 「マジ」  南条はきっぱり言い切って、でもちょっと笑ってた。  問題を出されるのは嫌だ。  それでもそんな顔をされると、なんか嬉しくなってしょうがない。 「絶対ムリじゃん……」  俺が頭を抱えている様子を、南条は横目で見ながら楽しそうに笑っていた。  そういうところも、やっぱり大好き。 「じゃあ、第1問。『モナ・リザ』を描いた画家は?」 「それくらいなら……レオナルド・ダ・ヴィンチ!」 「正解」 「よっしゃー!」  思わずガッツポーズすると、南条がちょっとだけ目を細める。 「第2問。印象派の代表的な画家で、『睡蓮』を描いたのは?」 「……モ、モネ……?」 「正解。意外とやるね」 「ふっふーん、伊達に南条の彼氏やってませんよ

  • 放課後の君は、まだ遠い。   最終章 光と空の先 ③お互いの光

     卒業式まで、あと数日。  教室の時計がゆっくりと午後を刻む頃、俺は小さく伸びをして、立ち上がった。  ふと窓の外を見ると、校舎裏のあの場所に、誰かの影が見えた。  ……南条だった。  俺は鞄を持って、急いで教室を出る。  廊下には春の匂いが満ちていて、遠くから部活の音が聞こえてきた。  もうすぐ、すべてが終わる。そんな気配に包まれながら、足は自然と、あの場所へと向かっていた。 校舎裏には、爽やかな風が吹いていた。  南条はスケッチブックを胸に抱え、壁にもたれかかるようにして、空を見上げている。 「……待った?」  声をかけると、南条は振り返って、目を細める。  それだけで心臓が跳ねた。 「全然。むしろ、空を見上げる時間が取れてよかった」 「空?」 「うん。僕の大好きな、空」  そう言って笑うその顔が、何よりも眩しい。  南条は俺のことを〝光〟っていうけれど、俺から見れば、南条も〝光〟だ。  ただ、恥ずかしくて言えないけれど。  俺は、ゆっくりとその隣に並んだ。  ふたりで壁にもたれながら、並んで空を見る。春の陽射しが、柔らかく頬を撫でていく。 「……白浜くんに、見て欲しい」 「ん?」  そう呟いた南条は、持っていたスケッチブックをゆっくりと開いた。  そこに現れた、1枚の絵。  完成されているようで、どこか眩しさを覚える絵だった。 「この前から、白浜くんの絵を描いてただろう」  南条はスケッチブックを立てて、絵を俺に向けてくれる。  それは、笑顔の俺だった。  思わず息をのむくらい、眩しく、嬉しそうに。誰かと話している時の、無防備な笑顔だった。 「……これ、俺、だよな?」 「うん」  南条の声は、どこか照れていて、それでも真剣だった。 「俺、こんなにキラキラしてる?」 「うん。いつも言ってるじゃん。白浜くんは〝光〟だって」  喉の奥が、ぎゅっとなる。  絵の中の俺は、誰よりも楽しそうで、でも、それを見つめてい

  • 放課後の君は、まだ遠い。   最終章 光と空の先 ②信頼できる人

     放課後の廊下はしんと静まり返っていて、靴音だけが妙に響く。ロッカーを閉めかけたその時、柱の影から人がひとり現れた。「お、白浜。まだいたんか」 ひょっこり顔を出したのは、大澤先生だった。やたら軽いノリとその笑みで、こっちの肩の力がすっと抜ける。「なんだ、先生か。忘れ物?」「違うわ。お前に会いに来たんだよ……って言ったらキモい?」「まぁキモいね。ドン引き」「遠慮ないな~。今まではお前が俺のところに来てたのに」 そんな軽口を交わしながら、「ちょっと来て」と言われるままに階段を降りた。向かった先は図書室の奥、あまり使われていない談話室だった。 日頃、使われているのをあまり見ない。俺自身も、ここ入るのは初めてだった。「今日は渡り廊下じゃないの?」「だって寒いじゃん。ほら、入りな」 そう言いながら先生は鍵を開け、中に入る。すると窓もすぐ開けた。ひやりとした空気が流れ込み、カーテンがやわらかく揺れる。 寒いからここに来た、という理由はどこに行った?「……で? どしたの? 面談?」「違うわ。なんか最近……お前が全然来ないからさ。ちょっと寂しいなって思って」 冗談みたいに言うくせに、目元がほんのちょっとだけ真剣だった。それが逆にこそばゆい。「入学してきた時から、ずっと見てきたけど。そんなお前が卒業するってのも、すこし寂しくて」「……えー、もしかして、感傷?」「うるせぇ。これ以上言わせんな」 俺の頭をペシっと軽く叩いて、先生は笑った。なんだかこの感覚が久しぶりで、つい頬が緩んでしまう。「でも、白浜。ほんとうに成長したよね。人として」「褒め言葉?」「もちろん。〝南条依存症〟になったのだけは、想定外だったが」「出た! マジで止めろよ、それ!」 俺は吹き出して笑った。大澤先生しか言わないそのワードに、つい懐かしさを覚える。 そう思うくらい、俺は先生のところに来ていなかったのだろう

  • 放課後の君は、まだ遠い。   最終章 光と空の先 ①向かう道

     春の匂いがした。  雪の名残がまだ歩道の端に残る朝だったけれど、空はどこまでも高くて、光は柔らかい。  空気の中に、ほんのすこしだけあたたかさが混じっている。冷たさの向こうに、ほのかな春の予感があった。 学校へと続く道を、俺はゆっくりと歩いていた。  制服の胸ポケットには、白い封筒。もう何度も折り目がついて、角がくたびれたその紙には、たった数行の文字が書かれている。  けれどその数行が、俺の人生を彩る道筋だった。  ——合格通知書。  第一志望の私立大学、心理学部。  昨日、ポストに入っていた封筒を手に取ったときのことを思い出す。  玄関ですぐに、震える指先で封を切った。  〝合格〟の2文字を見た瞬間、時間が止まったようだった。  信じられないような、それでいて、どこかで確信していたような——なんだか、変な感じだった。  そのとき一番に思ったのは。 『南条に伝えなきゃ』  たった、それだった。 この春から俺は心理学部に進む。  誰かの話を聞いて、寄り添って、ちゃんと耳を傾けられる人になりたい。  自分の言葉で、人の気持ちに触れられるような。  あの日、南条と向き合ったことで——より、そう思えた。  きっとあれがなかったら、この道は選ばなかったと思う。  だから今、南条に早く伝えたくて足早に学校へ向かっていた。  校門の前に立ったとき、すこしだけ息を吸う。  もうすぐ卒業なんだなって、しみじみと思った。  あと何回、こうして制服でここに立つんだろう。  なんて、感傷に浸るのも俺らしくない。 廊下に差し込む朝の陽射しが、やけに眩しく見える。  いつものように靴を履き替え、俺は南条のクラスに向かった。  後ろの扉から覗き込むように姿を探す。  ——いた。  窓際の席。  静かに、いつも通り自分の席に座っている。  変わらないはずなのに、なぜかその横顔がすこし大人びて見えた。  ゆっくりと教室に入って、南条の元へ向かう。  

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